キルケゴール(セーレン・オービエ・キェルケゴール)とは、デンマーク出身の哲学者、思想家です。実存主義の創始者、として評価されています。
キルケゴールによると、誰でも「絶望」に陥るとされます。というのは、人間は一生、自分自身とつきあっていく存在だからです。他人ではなく自分に対しての関係がうまくいかずに、自暴自棄になったり、投げやりになったときなどに「絶望」が生じるのです。キルケゴールは、この絶望こそが、人間にとってもっとも恐るべき「死に至る病」であるといいました。「絶望」するから「死ぬ」という意味ではありません。
「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです。肉体の死をも越えた苦悩が「絶望」です。
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」
ウィリアム・スミス・クラーク
明治初頭の1876年、札幌農学校の新設に伴い、日本に招かれた教育者
多くの生徒から恩師と慕われる彼の教えは、明治以降の日本において数々の有識者を生み出しました。
たとえば五千円札の肖像画で有名な新渡戸稲造や、キリスト教思想家の内村鑑三なども博士の意志を継ぐ面々として知られています。
明日から4月になり。新しいスタート月になります。
そこで今回はこの2つの言葉を問います。
まず死に至る病は絶望である。新しいスタートとしてこの言葉を選びました。
人生は、様々な出来事あります。魂の成長には、沢山の苦難があります。出会いもしかりで、いい出会いもあれば、不運な出会いもあります。実はそのすべてが魂の成長になります。
私自身様々な出会いがありました。
その中では、不運な出会いもありました。しかしその不運な出会いからの出来事が、多くの学びとなりました。また不運の只中では、この状態が永遠につづくのではと思ったりしました。しかし希望を失わなけれ必ず光が見えると思って頑張りました。また、人に支えられました。その結果頑張ってこられましたし魂の成長になったと思っています。感謝しています。
いまだ学びの途中ですが、我以外皆我師也と思っていますし、これからもたくさんのことを学びたいと思っています。
次に「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」ですが、この文には様々な解釈があります。
「Boys, be ambitious. Like this old man. (少年よ、大志を抱け。この老人のように)」
またクラーク博士の教え子である大島正建先生が、講演で話したこんな言葉です
少年よ、大志を抱けこの言葉からは、夢持って生きて行けと問われているように感じます。しかしどの時代でも、様々な夢や希望があったと思います。また、沢山の可能性がありました。
チャンスの神様がおられたと思っています。
今は、チャンスの神様は、新しい価値を見せています。。
過去の歴史の中から、今の若いモンはと、どの時代でも言われています。しかし同じ条件ではありません。異なる時代の中で様々な出来事で人は学んでいきます。但し現在の社会は、AIで、大きく変化をしていますし、今後様々な分野でのAIが活用されてきます。価値観や風習も大きく変化していきます。変化の速度が速くなると考えます。
この大きな変化の中では、世代を問わず我以外皆我師也の想いで、若者に夢を持って頑張っていただきたいと思っています。
これからの大志とは。
社会的な名誉や価値を否定してはいませんが、それ以上に人間性が大切になると考えます。人間の時代(人徳の時代)になると考えます。現在あまり言われていない、徳が第一義になると考えます。
チャンスの神様は、新しい時代の価値を示しています。(徳生の時代)
当会は、人が人として生きていける世界(人道主義の徳性社会)を作ることを根本の志として、有志で活動しています。当会の大切にしている活動は人作りです。若者には、成人のまたは、熟年者の経験を伝え、熟年者は、自分の人生の再活動として学ぶ。我以外皆我師也です。現在の社会に問題意識の有る人の参加をお待ちしています。よろしくお願い致します。