荘子(中国哲学)
我、未だ木鶏たりえず。
双葉山(第35代横綱)
横綱双葉山が、連勝が69連勝で止まった時に、
安岡正篤(日本の思想家、哲学者)に打電した内容と言われています。
故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強の鶏について説明する。
紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。
更に10日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』 と答える。
更に10日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。
さらに10日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。
上記の故事で荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。
心の持ちようを表している言葉です。
人は、なかなかこの木鶏の心を至ることは難しいと思います。
しかし、少しでも木鶏に近ずけるように、日々の精進が必要と思います。
和顔愛語
和顔愛語とは、「和顔」が「笑顔」を、「愛語」が「優しい言葉」を意味し、
合わせて笑顔で優しい言葉を使う という意味があります。
これは、相手に対して敬意を払い、心のこもった言葉で接することを示しています。
語源としては、「 和顔愛語 」は、中国の古典『論語』に由来します。
笑い門には福来るとも言います。
いつも笑顔でいることは、困難の中、苦しみの真っただ中では、難しいです。
しかし、その状況の中で、自分の顔を鏡で見てください。
こんな顔では人は、一緒にいたいとは思わないと思います。
辛いことは、あなただけではありません。
この混沌とした世の中では、沢山の人に笑顔が無くなっています。
今こそ笑顔で、そして優しい言葉で、人に接していきましょう。
そして心は、木鶏を目指していきましょう。
志を持って生きましょう。
鴻鵠の志の会では、沢山の方の参加をお持ちしています。