知将・呂蒙の誕生(三国志故事)

実際に語り合った呂蒙は、以前とは比較できないほどの慧眼や学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。

喜んだ魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛しました。
対して呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば随分と成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。

その顔つきは、かつて魯粛が軽蔑していた猪武者の姿ではありませんでした。

上記は、三国志の故事でのことであります。

人生は、様々な事があります。

そのことを、どのように捉えるかによって、その後の人生に大きな影響があります。

学ぶ姿勢があればどのような状況でも学べます。

人間は、様々な出来事で学べますし、志があれば人生の終わりまで学べます。

その学ぶことでの意義は、最後の時に後悔しないということです。

人生に悔いなしということです。

1回の人生です。

生き抜きましょう。

人がどう思おうが関係ありません。

自分の人生の責任は自分自身しか取れないからです。

昔は、人と違わないようにと教えられましたが、今は人に迷惑をかけないならば違ってもいいと思います。

志を持って、1回きりの人生を自分らしく生き抜きましょう。

三国志における、呉下の阿蒙にあらず。士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべしの言葉を現代に当てはめますと、呂蒙は実戦を重ねていました。体験としての経験を持っていたのです。

その上で、知識としての戦略戦術や、人間学、帝王学を学ぶことで、様々な角度からの見識を学びました。

その上、将としての胆識を持っていました。

知識、見識、胆識を持つ事により、人物としての風格が出来たと考えます。

前にあった時とは、まったく違った人物になっていました。

しかし、これは、同じ観点を持った人物にしか見えません。

西郷という奴はわからぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう。

この言葉は、歴史小説が好きな方ならきっとご存知かと思います。坂本龍馬が自分の師である勝海舟の紹介で西郷隆盛と初めて対面したときに、西郷を評して語った言葉です。

評する者もさすが、評される者も流石です。

その人物の総評をするとき、全てが自分自身の物差しでしか見ていないということです。

当会の、名称である鴻鵠の志の会も、同じ意味です。

小さな鳥には大きな鳥の見ている景色は見えませんし、小人物には大人物の遠大な志はわからないということです。

見ている景色が違うのです。

僕も、君みたいな人間がと言われたことがあります。ダメだという意味です。

その時僕は、この言葉を思いました。

この人とは見ている景色が違うんだと思いました。

また、この会を立ち上げ進んでいき中で、メリットが無いと言われて事があります。

この会の意義をメリットで表すことは出来ませんし、その人にとってメリットが無いかもしれません。

目指しているところが違っているので。

目指すところは、志を持つ事だと思います。

自分の人生の方向性(志)を見つける事が第一義だからです。

自分探しが第一義です。

自分探しが出来れば、進んでいく道が見えてきながら

僕自身も人生の最後に向けて自分探しながら進んでいます。

自分探しの旅を一緒にしませんか。

鴻鵠の志の会では、志を持った人、また持ちたいと思う人の参加をお待ちしています。

共に学びましょう。

鴻鵠の志の会      荻野一美

Translate »