悪事や不正は必ず発覚するものだというたとえ。この言葉は、後漢の学者・楊震が、役人になった王密から賄賂を贈られた時に断ったという故事に由来する。楊震は、「天地の神々も、自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するものだ」と言ったのである。

今、世の中では、政治不信が問われています。

本日、また新しい内容が出てきました。政治倫理審査会は、何のために開かれたのではなど問われています。

悪いことしても、いつかは露見します。逆に良いことをすればいつかは世間がきづいてくれると考えます。自らの良心に従って行動すべきと考えます。

そこで、この2つの言葉が浮かびます。

敬天愛人

西郷隆盛先生 南洲遺訓より

天を敬い人を愛すること。【敬天】は、天をおそれ敬う【愛人】は人をいつくしみ愛すること。

水清ければ魚棲まず

あまりのもきれいな水には、魚が棲めないことから、あまりにも清廉すぎると人は、かえって人に親しまれず孤立してしまうことを例えたことわざです。

鴻鵠の志の会では、志を第一義に考えます。

志の無いところには道は開けないと考えるからです。

志の中心は、【敬天愛人】であり、天であります。自らの行動を天に問います。天に恥じないことが第一義になります。

しかし水清ければ魚棲まずでもあります。人は、様々な経験をして生きていきます。沢山の挫折、失敗をすることもあります。清廉ではありつづけることは、難しいと考えます。沢山の挫折、失敗をすることで人の痛みがわかることがあると、魂の成長があると考えます。

人生には、様々な坂があります、上り坂(この世の春の感じがします)下り坂(挫折と絶望)、突然の坂(今までの経験が生きてこない時)などがあると考えます。

当会は、一人一人の人生を意味あるものになるよう、皆さんと活動していきたいと考えています。志の有る人の参加をお待ちしています。

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